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包装資材の企画・開発・販売

人竹からはじまった、スカイマテリアルグループの創業ストーリー

2024.04.17
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 スカイマテリアルグループは、役割の異なる包装資材関連の企業で構成されています。そのグループの歴史は、グループの中心的存在である武蔵野産業が「人竹(人造竹皮)」と呼ばれる包装資材を手掛けたことから始まりました。
 実は日本人ならば一度は目にしたことのある「人竹」。なぜ人竹だったのでしょうか?創業のヒストリーに迫ります。

目次
  • 時代の先を見据え、人竹の生産機械の自動化に取り組む
  • 時代を超え、環境負荷の少ない素材として、いま再び見直される

時代の先を見据え、人竹の生産機械の自動化に取り組む

 武蔵野産業の創業者である加藤孝は、名古屋で7人兄弟の1人で生まれました。
 その後、東京(加藤家)へ養子に出された後、1959年に機械設計事務所を立ち上げ、素材関係を主軸とした製造ブランドに注力していました。転機は1961年に訪れます。
 当時、名古屋に住む兄弟の1人である吉良清は饅頭店を営んでおり、その中で天然竹皮を包装資材として使用しておりました。しかしながら天然の竹皮はカビや臭いが気になり不衛生であることを知り、人造竹皮に着目します。

 実は人造竹皮自体はすでに存在しておりましたが、当時は人手で生産していたため、同商品を量産化(自動化)できるよう、当時、機械設計事務所を営んでいた加藤孝と共に、機械設計に着手し始めました。
 人竹は竹皮模様を印刷した紙にパラフィンワックスを塗布したものです。昔は各地域の商店街で栄えていた精肉店で肉を購入した際に包まれていた、あの包装紙です。1961年、試行錯誤を重ねた結果、この人竹の生産機械の自動化を実現しました。

 その後の1965年、吉良清は現在のグループ企業である株式会社キラックスの前身である「株式会社吉良紙工」を設立、その半年後、追いかける形で加藤孝が「武蔵野産業株式会社」を設立し、スカイマテリアルグループの原点が生まれました。
 天然竹皮に変わる新たな包装資材として、当時は人竹が飛ぶように売れました。その後は、プラスチックを主流とした食品用トレーが誕生およびシフトしていったことをきっかけに、メーカーとしてだけでなく、様々な包装資材メーカーの一次代理店として、卸売業を営み、発展させてきました。

時代を超え、環境負荷の少ない素材として、いま再び見直される

 スーパーマーケットやコンビニエンスストアの出没に伴い、各地の商店街が縮小されていく中、それに伴い人竹を使用していた精肉店も減少していきました。そのため、現在は見かけることが少なった人竹ですが、現在では環境負荷が少ない素材として見直され始めています。
 プラスチックに劣らず耐水性や耐油性もあり、抗菌作用もある包装資材。人竹の素材であるパラフィンワックスと紙、どちらも天然資源から生まれているため、リサイクルや廃棄の視点からも良いとされています。

 何よりもプラスチックにはない味わいや情緒があり、あえて人竹を使い続けている高級精肉店や和菓子店も多く存在します。実際、近年のご使用先では百貨店などのいわゆる「デパ地下」の精肉店で使用されることが多くなっております。人竹は日本ならではの素材として愛され続けているのです。

 時代の先を見据え、新たな領域へとチャレンジをし続けるスカイマテリアルグループ。その原点は、創業者の加藤孝が人竹に着目したことからはじまったのです。

 上記は2022年のFABEXに出店した際、ノベルティとして配布したお弁当バッグです。人竹の特徴を活かし、時代の変化に合わせた形も模索、チャレンジをし続けています。